2020年
3月
31日
火
2020年
3月
30日
月
先般の我がブログにて、
“外出が制約される中で、読書の時間が増えている”との発信があった。
何とも頼もしい在り様である。
現下の中国ウィルス禍にあって、
無論、自己中心の狭量なご仁は存在し、責任転嫁を恥じることなく、
目障り極まりない言動を見聞きはするが、
後手後手に回った政策をよそに、日本国民は冷静である。
とは言え、厳しき状況下にあり、明日をも知れない渦中にあることは
押しなべての共通項である。
いかなる時にも、どこにあっても、出来ることはある。
この気質を冷静に穏やかに持ち続けているのが我が民族である。
これを活かさずしてなんとする、そんな声が聞こえてくる。(T)
昨日の雪。重たい雪もやがては消える。
2020年
3月
26日
木
2020年
3月
25日
水
新型肺炎の影響でイベントが次々と延期・中止になり、
いわゆるエンタメ業界が打撃を受けています。
音楽や演劇といったものは形として手元に残るものでなく、
ましてや生活に必須というわけでもありません。
自粛は賢明な判断ではありますが、
それを心の支えや楽しみにしている人も多くいます。
イタリアでは外出禁止令が敷かれ、
市民はバルコニーで歌ったり楽器を演奏したりしているそうです。
こんな時でも音楽の街ナポリがあるイタリアらしいなと、
大変な状況の中でも心が明るくなりました。
我が社も含め、全ての人がおしなべてこの厳しい状況下にあります。
早く日本に元の活気が戻るよう、
こんな時だからこそOJは元気を発信してきたいです。
(A.S)
昨年、帝国劇場にて観劇したミュージカル『レ・ミゼラブル』
決して明るいストーリーではないですが、キャストの熱量、
迫力のある生演奏にたくさんの元気をもらいました。
2020年
3月
24日
火
2020年
3月
23日
月
「思えば遠くへ来たもんだ」、
武田鉄矢氏の曲のこのフレーズが、最近よく頭をよぎる。
創業32年の重さ故か、
数えきれない挑戦の戦歴の重さ故か。
創業32年、多くの意義ある事業に参画、山あり谷あり、
成果志向の責任遂行企業として、学びを多とし、
真摯にそして堂々と歩みを積み上げてきた。
その評価を頂けたが故の32年であることは、我社の誇りでもある。
今、日本国が劣化し、正に国難というべきこの時、
固定観念を打破し、出来ないを出来るとする企画の生命線を戴して、
企画会社OJの出番を更にしっかり創っていきたい。
この曲の最後は、「この先どこまでいくのやら」となっている。
我社が、最後の歌詞を考えるなら、
“今日から今から夢造り、
成果の支援はどこまでも、まだまだ続くよOJロード” (T)
我が日本国の美しき桜、永遠に咲き続けて行く。
2020年
3月
18日
水
昨日、「令和2年度ロシア連邦等における慰霊事業の実施支援業務」
(厚生労働省社会・援護局)の受注が決まりました。
1991年(平成3年)ゴルバチョフ大統領の来日を受けて
旧ソ連地域で抑留中死亡された皆様のご遺骨収集が可能となった当初より、
OJは支援業務(埋葬地調査・現地政府等との交渉・通報・資料翻訳・派遣団通訳等)
を担当させていただき、29年目を迎えました。
この間、旧ソ連地域で抑留中に亡くなられた約5万5千人の方々のうち、
約2万人のご遺骨のご帰還が果たされました。
戦後半世紀近くたってからの事業スタート、
国土も体制もすっかり変わった困難な状況下で、各地方政府等ロシア側の協力を得て、
慰霊を通じ、平和の礎を創る稀有な事業となっています。
2020年は、戦後75周年。世界各国でも歴史を風化させない取り組みが展開されています。
OJも当該事業の今日的課題解決の貢献へ、決意も新たです。 (R.K)
関連記事:戦後70年 ~平和の礎~ 2015年4月(リンク)
2020年
3月
17日
火
自粛を余儀なくされたこの機に読書の時間も増え、
勧められた本に「緩和ケア医が、がんになって」がありました。
以前の私だったら、興味を抱かなかっただろう題名だったが
OJが携わってきた事業の一つに、ブログでも何度も紹介してきた
「人生の最終段階における医療体制整備事業」
があるからこそ、新しい世界へ関心を持ちます。
著者の「ガン患者として」「緩和ケア医として」「生と死」
自分らしくしぶとく生きる、飾り気のない語り口調の文体に、
本人のお話を聞いているかのように
あっというまに読み進んでしまいました。
緩和ケアとは、生きるとは、死と向き合うとは…
1冊の本を通して様々な事を思わされました。
(S.H)
2020年
3月
16日
月
2020年
3月
16日
月
2020年
3月
11日
水
2020年
3月
11日
水
2020年
3月
10日
火
2020年
3月
09日
月
中国ウィルスも入口を塞いだ。最大の不安が取り除かれた。
日本人の清潔感、日本の医療環境をもってすれば、
油断することはあってはならないが、
終息への出口が見えてきたと言える。
どこで決断するか、この選択・戦略を誤ったが故の現下の惨状、
自国民を犠牲にしてまで、一国に偏る経済構造、等々
学びを多とし、日本の転換に繋げていかねば、多くの人の思いであろう。
我社も新年度事業獲得へ決断の時、
厳しき状況下にあること現下のごとし。
が、使命感あるお客様との出会いを求め、
創業以来32年、企画会社の夢、
「より良い未来社会の建設(Building a Better Future!)に向かい、
ぶれることはない! 動くオスカー ! (T)
元気をつくるが如く、ひとり咲く桜木
2020年
3月
05日
木
2020年
3月
04日
水
新型コロナウィルス関連の風評で店頭からトイレットペーパーが消えた様子に、
1990-91年のモスクワ留学時代が重なりました。
ソ連崩壊の一歩手前、当時はとにかく物不足で、
すべてないのが当たり前。
買い物の際には住民票提示が求められ、
大学事務の滞りで、住民票をもらえなかった私は、
お宝トイレットペーパーを前に、
レジで学生証を手にひと悶着もありました。
ロシア人宅のトイレに置かれたメモ用紙サイズにカットされた新聞紙、
猫用かな?と思ったら人間用で驚きました。
工夫次第。
その経験は今の仕事にもいきています。
※ロシア人の友人は私にはゲスト用の秘蔵トイレットペーパーを出してくれていました。
ソ連のトイレットペーパーはすらすら文字がかけるバリバリした代物でしたが、ありがたかったです。
日々、目から鱗の発想で次々と迫りくる危機を克服するソ連人のたくましさとユーモアに
心底感服していました。
2020年
3月
04日
水
プライバシーマーク制度は、
日本産業規格「JIS Q 15001個人情報保護マネジメントシステム-要求事項」に適合して、
個人情報について適切な保護措置を講ずる体制を整備している事業者等を評価して、
その旨を示すプライバシーマークを付与し、
事業活動に関してプライバシーマークの使用を認める制度。
OJは、創業以来、国内外の公的機関の明日の景色を創る事業支援でご愛顧いただいており、 事業への責任上、危機管理・機密保持についても
自ら厳しい基準を設け無事故の実績を紡いでまいりましたが、
昨今は、「標準」としてプライバシーマークの取得を強く求められるようになりました。
お客様、時代の要請に応え、さらに安心してご用命いただけるよう、
この度、プライバシーマーク付与適格性審査の申請手続きを完了致しました。
小さくて強いOJへ、よりよい未来へ、動きます!
R.K.