日本人にとってドイツ語が難しいと感じることの一つは、名詞に男性der・女性die・中性dasの区別があることです。
それによってその名詞につく冠詞や形容詞が変化します。冠詞には確実なルールもなく、単語に対して暗記するしかありません。
Baum「木」であれば、男性詞の冠詞derを使うのですが、ドイツ語を話す子どもでも「あれ?der Baum? das Baum?(モグモグと口の中で反芻してから) Der Baumだね!」ということも。
冠詞は正しくはなくても意味は伝わります。そのため、日本語話者は「本当に必要なの…?通じるからいいのでは…?」と思いたくなるわけです。
しかし、この冠詞によって、ドイツ語なら「友達」や「パートナー」が男性であるのか女性であるのか、即座に分かります。
ドイツ語は性区別の明らかな言語なのです。それゆえ、ジェンダーを意識する昨今の流れの中で、表現も中立を目指して発展途上。Schüler(生徒)だと男子生徒だけを意味してしまうので、「Schüler*innen」や「Schüler:innen」という両性を包括する表記が公機関でも採用されてきています。いずれにしても、性別による文法上の変化がない言語を話す日本人にとってその重要性はいま一つ理解しづらいかもしれません。
一方、ドイツ語では話者の性別による言葉の差はありませんが、日本語では言葉の語尾に性別の違いが現れます。
「これ、買うわね」といったら話者は女性であろうと推測できるわけです。それゆえ、ドイツ人男性が日本人の女性から言葉を習うと正しくないわけではないものの、乙女っぽい口調になってしまうことがあります。
ドイツで日本人の母親に育てられ、いまやマッチョな体格のいわゆるハーフの男性が、日本人の母親に向かって、「ママ、お友達のところでお泊りしてくるね!」という違和感はやや微笑ましいものです。しかし、本人は「お袋、今日はダチのとこに泊まるから!」というイメージで話しているのではないかと思うと、少々気になることも事実…。言葉とはとても興味深いですね。
(Y.A)