先週の緊急地震速報の警報音に、動転し右往左往した。
幸いにも、大きな揺れはなく、安堵感が支配。
改めて、地震国日本の現実を強く意識する機会を与えられたと同時に、
この機に、我々はどんな考動を作り得たのだろうか。
大地震が起きないでほしい、
そんな思いだけが浮かびそのままではなかったろうか。
この日を犠牲にしてでも、日本人ひとり一人が、全ての組織が、国が
今を検証し一歩の準備をしたなら、
真の安全・安寧への大きな一歩を踏み出すことができたのでは。
現下のウィルス禍、全くと言ってよい程、準備が出来ていなかったことが
明らかになり、準備の在り様に思いを巡らした。が、
ここでも、通り過ぎることを願うばかりで、
何らの検証、対策も見える化されず、形ともなっていない。
緊急地震速報の警報音は、
本来優秀であるはずの我が日本人の現実への警報と思えてならない。
動かねば、形にしなければ、なんともならない。 (T)
野放図に街路樹が切り取られている。
来春、どのような花を咲かそうか、梅木の嘆きが聞こえてくる。ここにも自然界からの警告が。