天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典をテレビで見た後、
ドイツのベルリンで行われている壁崩壊30周年式典をネットで眺めていました。
どちらも感慨深いものがありました。
壁が崩壊しなければ、旧東ドイツ出身のメルケル首相が演説をすることはなかったでしょう。
旧東ドイツではブランドであった約700点の商品のほとんどは
壁の崩壊とともに店頭から消えていきましたが、
フロレナのクリームやロートケプヒェン(発泡酒)など生き残った商品は
今でも旧東ドイツの人にとっては郷愁をそそるものです。
壁が崩壊した当時、私のパートナーは17歳。
壁の崩壊の日、彼はある学生を訪ねることになっていたものの、その住まいに着いてみれば、 鍵もかけないままもぬけの殻で、仕方なく他の学生の学生寮に行き、そこで初めてテレビで壁 の崩壊を知ったと言います。
1989年9月以降は東ドイツ各地でデモが起こり、
彼自身も西に逃げることを考えていたものの、降ってわいたような突然の出来事と
逃亡する必要がなくなったことが即座には理解できなかったそうです。
当時の東ドイツでは一つに統一されたという喜びよりも
将来に対する不安が大きかったと言います。
自分の国が無くなること、今まで正しかったはずの価値観が間違いだったと言われること、
努力して築いた財産が目減りすること、キャリアや目標を失うこと、失業すること、
家族が崩壊すること…。
望む望まないに関わりなく、
歴史に残る出来事はそれに関わる人々の生活を大きく変えていきます。
旧東ドイツ人を侮蔑的に表現する「オッシー」という言葉を聞くことは少なくなりましたが、「B級国民」というレッテルを貼られたと感じた人は多くいます。
壁崩壊は「20世紀の政治において極めて喜ばしいことであった」とはいえ、
自分の人生を狂わせてしまった出来事であればそれを手放しで喜ぶことはできません。
次の10年で東西の経済格差が改善され、
意識の壁がさらに低くなっていくことを期待しています。 (Y.A)